「J.S.バッハを中心とした音楽遺産をごく自然に感じ、その精神性を豊かに感じられるように私たちはベストを尽くさねばならない。この合唱団がそのような高い目標を掲げて努力し、演奏を通じてJ.S.バッハを中心とした遺産へのより深い理解と正しい評価に貢献されることを希望する。」(Diethard Hellmann ディートハルト・ヘルマン氏(1928-1999)元マインツ・キリスト教会カントル、マインツ・バッハ合唱団創設者、元ミュンヘン音楽演劇大学学長、元国際バッハ協会会長)
1998年、カンタータ・ムジカ・Tokyoの設立にあたって送られたこのヘルマン先生のお言葉が私たちの音楽活動の原点を形作っています。私たちの合唱団はJ.S.バッハの宗教音楽をレパートリーの中心にすえつつ、キリスト教音楽を精神性をもって、心を込めて歌うことで私たち自身や聴く者の心を豊かにすることをめざしています。
ヘルマン先生との出会いは、故井形景紀先生が主宰されたマタイ研究会が1987年5月にサントリーホールでマタイ受難曲を演奏したときに遡ります。ヘルマン先生が指揮をされ、名テノールのエルンスト・ヘフリガー氏が福音史家を歌ったこの演奏会は大ホールを埋め尽くした聴衆の喝采を浴びました。マタイ研究会はその後もマタイ受難曲は言うに及ばず、ロ短調ミサなどバッハの主要な宗教音楽の演奏を続け、バッハの音楽を愛するアマチュアと声楽専攻の学生達が井形先生を囲んで練習とステージをともにするユニークな合唱団として活動しました。
残念なことに井形先生は1997年2月に若くして逝去され、マタイ研究会は解散を余儀なくされたのですが、それを惜しんだヘルマン先生が井形先生の精神を受け継いで新たに合唱団を設立するように関係者に働きかけられ、指揮者として渡辺善忠先生を紹介されて私たちの合唱団、カンタータ・ムジカ・Tokyoが12人のメンバーでスタートしました。1998年10月のことです。そして翌年3月に第一回演奏会を日本基督教団池袋西教会で開催しました。その際、マタイ研究会時代から一緒に活動されていた松田昌恵氏(ソプラノ)、小川明子氏(アルト)、浦野智行氏(バス)、大西律子氏(コンサートマスター)のご協力もいただきました。
以来、私たちの合唱団は2016年までに26回の演奏会を重ね、40名ほどのアンサンブルに成長しました。その後もバッハを中心とした宗教音楽を一流の指導者の方々の下で練習し、年に1-2回の演奏会でその成果を披露しています。演奏会ではソリストの先生方は合唱曲を私たちと一緒に歌われるのが私たちの大きな励みとなっています。また、オーケストラの皆さんも毎回ほぼ同じメンバーで、私たちに寄り添いつつ一緒に音楽を作り上げてくださる大切なパートナーです。
これからも冒頭に掲げたヘルマン先生の期待の言葉に応えられるように、自発的に音楽を楽しみつつ、さらに高みを目指していくアンサンブルでありたいと願っています。